●重袿(袿姿)

下には肌小袖・単・緋袴(ひのはかま)を着て、帯で結ぶことなく普通の袿を何枚も重ねて羽織った姿を呼ぶ。重ねる枚数に当初は規定はなく、『栄花物語(巻第二十四)』によると後一条天皇の頃には二十枚重ねた例もあったが[4]、当時でもこれは度が過ぎた着方であり、平安時代末期からは奢侈の関係で五枚重ねが適当とされた。しかし、晴れの日の優雅さに重ね袿は欠かさせないものであったため、守られない時もあり定着するのに時間を要した。

鎌倉時代になると、五枚重ねの取り合わせを「五衣(いつつぎぬ)」と呼ぶようになった。

●小袿

高貴な女性が私邸で着用する、羽織る上着である。表着より身丈や袖をやや短く仕立たもので、小袿と呼ばれた。高価な織物で仕立てることを慣例とし、少し改まった時には唐衣を略し、小袿を着用し準正装とした。

おめりに加えて裏地と表地の間に中陪(なかべ)という、別色の絹地を挟み込んで衿・袖口などが三重色の飾りとなる施しをした。

●単:

単衣(ひとえ、単)とは、平安装束で着用する裏地のない着物のこと。

以上内容摘自日文维百,就不翻译了。

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